音楽のことを書くと、どうしても評論・批評じみたことが多くなるけど、できれば解説できるようになりたいなと最近じんわりと感じています。
まま、批評は止まらないのだろうけど。
解説できるということは、人一倍理解して考察して洞察するということが必要ではないかと思います。音楽に関していえば、その人のベースにあるものあるいは歴史、音楽に対する考え方など、極端なことを言えばその人を理解してこそ表現手段として紡ぎだされる音楽が理解できるのではないかというのが当方の考え方。評論や批評は表面的に分かってさえいればできるもの。解説はそうはいかない。CDについているライナーノーツ1つとっても説得視力のあるものはミュージシャンのことをよく理解していることがにじみ出ている。
さて表現する人たちからすれば観客がどう受け取っているのかはとても気になるものだから仕方ないけど、ライブに行くと感想を求められたりすることがあるけど、かなり困ってしまう。結局良かったところを言うしかないのだが・・・
話は少し横にそれてiPhoneの話へ。iPhoneの好調によってすっかり有名になったApple。しかし、かつてAppleはNewtonというモバイル機器(厳密にはPDA)を出したことがありましたが失敗しました。手書き認識が優れていたのですが、大きさと値段がネックになったのかもしれません。(当時の技術では、あれもこれもという要望を実現するには大きく高価にざるを得なかったのかも)
iPhoneはご存知のとおり手書き認識ではなく、タイプライターのようなソフトキーボードにより入力するし、専用のペン(スタイラス)を使う必要もなく、Newtonとは全く異なるといっていいと思います。
例えばお客さんのアンケートをとって、要望の重み付けをして実現していくようなスタイルをとったら、iPhoneは作れなかったでしょう。そんなことをしたら、Windows Mobileのような商品ができあがったのかもしれません。Apple自身が考えに考え抜いた結果、iPhoneができあがったと言っていいのかなと思っています。
さて音楽の話に戻すと他人の意見より、まず自らがステージを振り返ることが一番重要なんじゃないかというのが私見。お客さんの意見は参考になるかもしれないけど、時として考えることに対する障害にもなります。アンケートに頼りすぎると、時として自分たちが進む道を誤るかもしれないし、お客さんを見ないで開発すると暴走に繋がりかねないし、そのバランスが重要だというきわめて当たり前なところにいきつく点に似ています。
従って、音楽の場合は、反省会という名の自己レビューが重要なんじゃないかなあ。そしてライブなんだから、ヘタウマの分析よりも、観客が満足したかどうか?しなかったのなら、どのあたりに要因があったのかを分析してみるのがいいんじゃないかな。もちろん、そこにはパフォーマンスがどう人の心理に影響するか?どのパートのどんな演奏が人の心を乗せたのか?を分析できなければいけないのだけれども。間違っても、アンケートをとってもそんなことを回答してくれる観客はいません。
私の中ではアンケートにこたえるということは、バックボーンを知った上で自分なりの解釈をしたうえで、気に入ったところを伝えたいと思うのだが、そんな境地には至りません。
嗚呼、音楽って難しいね。