職人について

個人的には職人という人たちのことは好きです。人が持たない技術を駆使してニーズに応えるところが羨ましくもあります。しかも、彼らが作ったもののうち、特に技術的に優れたものを中心に一生モノだったり何代かにわたって使用されるものまであります。

使い捨ての対局にあります。
これがとても羨ましい。

さて、企業活動をするために集まっている人たちには『職人』という言葉に拒絶反応を示す人たちが少なからずいます。彼らとしては、職人はよく『技術は盗むものだ』と言っている(聞いている、あるいはそういう先入観がある)ことがその理由のようだ。一見もっともだ。企業は技術をドキュメント化し、それら情報を共有する(したい)から。問題はそのような短絡的かつ知りもしないことを知ったかのような顔をしていること。

まず、現在の職人と言われる人たち、あるいは職人によりモノ作りが行われる業界では人不足が深刻という事実があります。よって、70で現役、という人がとても多いです。そのような状況なので、かつてはあった『技術は盗む』という風潮には少なくとも変化が見られます。後進の指導と言うことで、技術伝承をなんとかやっていこうという風潮があります。それは僕の身の回りを見ても例外ではありません。次に技術は何でもマニュアル化できるかというと、なかなか難しい部分もある。
例えば研削技術。
町工場では今でもウン10年前に購入した機械で研削しているところが多いです。
これらはボタン1つで思い通りには当然なりません。ミクロン単位の制度が要求される場合、例えば機械や材料の熱膨張を考慮して研削します。その技術はなかなかマニュアル化や機械に覚え込ませることは難しいのです。結局のところ、後継ぎは製品作りを通じて経験を積み、徐々自分で習得することになるのです。

さて技術伝承がなんでも簡単にできる、誰でもできるという単純な考えにたつと会社はどうなるか?
結論は明らか。
実際、今の勤め先では10年も前から警鐘を鳴らし、10年経過した今、ようやく理解し始めている。みんな馬鹿だよなー、君たち超一流大学出てるんだろ?と思う一方でまわりを説き伏せられない自分が悔しい。

無性に行きたい場所…それは職人さんのいる風景

今無性に行きたい場所、それは職人が働く町工場。特に気になっているのが『フルハルター』と『土屋鞄製造所』。

まず前者。万年筆を扱っているお店です。ただ単に売っているだけではなく、ペン先を購入者それぞれの嗜好に合わせて調整した上で売っています。(みたいです)

万年筆はペン先の太さがいくつもの種類があったり、ペン先の硬さが違ったりするけど、それだけでは言い表せない書き心地と万年筆の個体毎にも癖があったりする。それを個人の嗜好にマッチさせるためには相当な職人としての技術や心意気が備わっているはず。何より普段から万年筆を使っているので、そういった立場から『自分用に使いやすく調整された万年筆を使ってみたい』というのもあります。

後者は名前からすぐに分かると思うけど、鞄を製造・販売しています。職人のこだわりがWEB上でわかりやすく表現されていて、購入したいという気分にかられます。実際にモノを見れば分かるのですが、コストパフォーマンスが高い。オーソドックスなデザインが多いのでどんな服装でも合わせやすく、長くつきあえます。雨の日でも気兼ねなく使えたり、軽いという利点はあるのですが、どうも『長くつきあう』『成長を愉しむ』という要素が薄いかなーという気がします。

革は時間の経過と共に風合いが変わってきます。個人的にはこれがたまりません。

土屋鞄製造所の場合は東京に行けば見学させてもらえるとのことで是非行って、作業をしている風景を見てみたい。ただ、時間とお金の両方の条件を一度に満たせていることがなかなかないのが課題か。。。

■参考URL
[http://members.jcom.home.ne.jp/fullhalter/ 万年筆専門店フルハルターTOPページ]

[http://www.tsuchiya-kaban.jp/index.html 土屋鞄製造所(鞄工房土屋) 職人のこだわりが生んだ革鞄/バッグ/財布/革小物の製造販売(通信販売)]