結局仕事を片付けることができず、、、9連休はあきらめました。
あとは、9連休に海外旅行に行こうと思っていたんだけど、準備不足により行ける状態じゃなかったという理由もあります。
個人的に次に活きたい国は台湾かドイツ。
バラバラといえばそのとおり。
アジアに行くとヨーロッパの建物が恋しくなり、ヨーロッパに行くとアジアの雰囲気が恋しくなるという具合です。
ともあれ、うまく時間を作って、10月の連休に行きたいと思います。
時間が短いので、台湾にしようと思っていて、色々調べ中ですー。
日: 2005年9月19日
続き~ニューシネマパラダイス
良い映画というのは、多かれ少なかれ印象に残るシーンや台詞がありますよね。
そして、心の中にしまったり、実生活のお手本にしてみたり…
ニューシネマパラダイスは表面的に切り取れば、映画にはまっている陽気な人たちと主人公が描かれた『映画に対する愛』の物語です。
でも、深読みすれば色々考えさせられる映画でもあります。
例えば冒頭に映し出される、主人公の母親が住む家の窓から見えるシチリアの美しい海。
先の書き込みで少し触れたけど、主人公は映画を作る夢を叶えるべくローマに行くんです。
夢ゆえに困難や苦しみもあるはず。
シチリア島という小さな世界から外に飛び出した通り道でもある。
この伏線はやがて映画技師『アルフレード』の台詞が発せられるシーンにより明確になる。
『人生は、お前が見た映画とは違う。人生は、もっと困難なものだ。行け・・・ローマに戻れ』
そう、映画と実際の人生は違う。
映写室の小窓から覗き見た映画は、本当の人生ではない。
トトは映画を見すぎた。
現実を生きろ。
そして自分のすることを愛せ。
映画ではなく現実の人生を愛せ。
久々に見て、そんな言葉が頭を駆けめぐり、ほろっとしてしまいました。
Nuovo Cinema Paradiso~ニューシネマパラダイス
好きな映画は色々あるけれども、そのうちの好きな1本が表題のニューシネマパラダイス。
トトという映画好きの子供が映画に触れながら成長していく様子を描いています。
映写室に入り浸る日々を過ごしていくうち、いつしか映画監督になることを夢見ます。
その夢を叶えるべく生まれ育ったシチリア島を後にし、ついに夢を叶えてシチリア島に戻ってくるという、、、ごくごく簡単にいうとそんなお話。
映画館はシチリア人(イタリア人)らしくとても陽気な立ち振る舞いの観客が集まってくるんです。
しかも結構濃い。
ストーリーを大声で解説する人、大いびきをかきながら寝ている人、その寝ている観客にイタズラする人…
そんな濃い人たちが集まっていながらも映画を観ながらのリアクションを共有している。
悲しいシーンは皆で泣き、楽しいシーンは皆で笑う。
映画館の名前を『パラダイス座』というんだけど、その名前にふさわしい光景です。
シチリア島に戻ってきたのは小さいときに入り浸っていた映写室で映写技師として働いていたアルフレードが亡くなったから。
形見として残されたのは上映できないシーンを切り取ったフィルムをつなぎ合わせたものでした。
映写すると、、、キス、、キス、、、キス、、、
この映画の魅力は人それぞれあるだろうけど、筆者としては音楽の魅力もあげたい。
エンニオ・モリコーネという方が担当したんだけど、この人の音楽がたまらないです。
有名なのは『荒野の用心棒』なんでしょうか。
その他にも『海の上のピアニスト』とか。。。
全く話は変わって、今日見たテレビでイタリア好きが高じて『駅前留学』からイタリアへホームステイをするに至った女性が映し出されていました。
その番組は今日が最終回で、これまでの主立った出来事や取り上げた話題を振り返るというものでした。
そのうちの1人がイタリア語に目覚めた女性でした。
『駅前留学』での会話は筆者でも分かる簡単なものでした。
『自力でそのレベルに到達できるけど、そういうところで勉強する人もおるんやなあ』と漠然と見ていたんです。
そこからが彼女と筆者とで根本的に違っていた。
ホームステイをすればもっと上達すると信じてイタリアに行ったけど、現実は厳しかった。
『現実は厳しい。身の程知らずだった。これからが不安だ』
映像はそこで終わっていた。
そして後日談ととして『愛・地球博』イタリア館の説明員として働いているとのこと。
大したものです。
番組の性格上、過程がありませんでしたが、きっと辛酸を嘗めたことでしょう。
その彼女がイタリア語に目覚めたのがこのニューシネマパラダイスでした。
思わず、久々に筆者も観たのでした。